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常徳院 (世田谷区) : ミニ英和和英辞書
常徳院 (世田谷区)[じょうとくいん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [く]
 【名詞】 1. ward 2. district 3. section 

常徳院 (世田谷区) : ウィキペディア日本語版
常徳院 (世田谷区)[じょうとくいん]

常徳院(じょうとくいん)は、東京都世田谷区宮坂にある寺院。曹洞宗に属し、山号を「観谷山」という〔〔〔。寺伝などによれば、開基は足利義尚といわれる〔〔〔。本尊の十一面観音像は慈覚大師円仁作と伝えられ、毎年8月20日の開帳には多くの人々が訪れている〔〔『改訂・せたがやの散歩道』96頁。〕。
== 歴史 ==
小田急小田原線経堂駅前から世田谷消防署宮の坂出張所や世田谷区役所経堂出張所の前を過ぎて東急世田谷線宮の坂駅方面に続く道を5分ほど歩くと、左側に常徳院山門へと続く石畳の参道が現れる〔〔。曹洞宗に属し、本山は永平寺總持寺、山号を「観谷山」という〔〔〔。常徳院に敷地の境を接して、乗泉寺世田谷別院(本門佛立宗)が存在する〔『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』136頁。〕〔世田谷区の寺院|世田谷区の地区別寺院一覧 猫の足あと、2014年8月20日閲覧。〕〔アクセス 本門佛立宗妙証山乗泉寺ウェブサイト、2014年8月30日閲覧。〕。
かつてこの寺院は「浄徳院」(または浄徳庵)と称し、現在の世田谷区船橋1丁目付近にあったと伝わる〔〔『せたがや社寺と史跡その二』30頁。〕。寺伝などによれば、1486年(文明18年)3月に足利義尚が開基となり、多摩郡二俣尾村の海禅寺(東京都青梅市二俣尾に現存)から益芝永謙という僧を迎えて開山とし、宮坂に移転した〔。ただし、足利義尚の開基説については、法名が「常徳院悦山道治大居士」であったことから唱えられたともいわれる〔〔。
常徳院が所蔵する奥州(武蔵)吉良氏関連古文書のうち、中地山城守(吉良氏の家臣)という人物の署名がある吉良氏印判状では、吉良氏朝(吉良頼康の養子)〔吉良氏朝とは コトバンク、2014年8月26日閲覧。〕の命によって十一面観音菩薩に立願し、仏供免田200疋を寄進した旨の記述があり、その宛名は「浄徳庵」となっている〔〔。吉良氏印判状は1573年(元亀4年)10月18日付のため、浄徳院(浄徳庵)は少なくともこの時期には存在していたことが推定されている〔〔〔『世田谷区社寺史料 第二集 建築編』75-79頁。〕。
常徳院は小本寺格の寺院で、経堂駅近くに現存する福昌寺はその末寺である〔〔『せたがや社寺と史跡その一』23頁。〕〔『世田谷区寺院台帳』96-99頁。〕。福昌寺の開基となった松原土佐守弥右衛門は江戸幕府に仕えていた医師で、学識豊かで信心深い人物であった〔『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』20-22頁。〕〔『ふるさと世田谷を語る経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』122頁。〕。松原は常徳院から玄畝という名の僧侶(常徳院第8世住職という)を招き、屋敷内に寺を建立した〔『史料に見る江戸時代の世田谷』76-77頁による。資料によって、開山の名は「玄浦」、「玄補」、「玄甫」などとも表記されている。〕〔〔〔『史料に見る江戸時代の世田谷』76-77頁。〕。建立の時期については、1624年(寛永元年)または1626年(寛永3年)3月の2説がある〔〔〔『改訂・せたがやの散歩道』102-103頁。〕〔『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』44-45頁。〕。
その他に世田ヶ谷村横根〔現在は世田谷区大蔵の一部である。〕にあった善徳院(廃寺)も、常徳院の末寺であった〔『史料に見る江戸時代の世田谷』40頁。〕〔『世田谷区寺院台帳』176頁。〕。善徳院は山号を「横根山」といい、1656年(明暦2年)に守頓という僧が開山となって創立されたと伝わる〔。善徳院は本寺である常徳院に合併されて、1875年(明治8年)2月19日に廃寺となった〔。
1872年(明治5年)の『臨済宗 曹洞宗 黄檗宗 本末一派寺院明細帳』という資料によると、「境内 二町五反付歩」とあり檀家は160軒であった〔。1877年(明治10年)の『曹洞宗明細簿』では「檀家 百五拾八戸 境内 千四百拾九坪 官有地」で境外民有地が「六町四反弐畝弐拾八歩」で田や畑、林などが多かった〔。常徳院の周囲は、1954年(昭和29年)までは雑木林で人家がまばらな地域であり、大正時代にはこの寺から狐火が見えたと伝わる〔〔『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』25頁。〕。この付近が急速に開け始めたのは、1927年(昭和2年)4月1日の小田急小田原線開通の時期からで、それ以後は民家が増えていった〔『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』25-26頁。〕〔。隣接する乗泉寺世田谷別院の境内は、かつて常徳院所有の麦畑であった〔。その後乗泉寺が麻布から移転してきて、この地に堂宇などを構えている〔。
本尊である十一面観音像は、慈覚大師円仁の作と伝えられる〔〔『改訂・せたがやの散歩道』96頁。〕。毎年8月20日の開帳は「明けの観音」といい、午前3時に本堂が開けられる〔〔。開帳の日には、早朝から多くの人々が訪れている〔〔。
常徳院に隣接して、常徳幼稚園が立地している〔。この幼稚園は1954年(昭和29年)の創立で、「ほとけの子」としての保育と教育に取り組んでいる〔。常徳幼稚園は1971年(昭和46年)に新しい園舎を建設し、2008年(平成20年)に耐震工事を完了した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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